完全実力主義社会は幸せか?―検索順位を争うブログに思うこと―

最近、とある本を読んでいて完全実力主義社会、言い換えるなら成果によってのみ評価される社会は幸せかなと考えるようになりました。

 

その本のタイトルは『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』。

 

 

この中で、時本という元アメリカンフットボーラ―のアメリカ時代のエピソードを取り上げているのですが、この点について特に気になる部分がありました。

 

練習ゲームの合間に、彼は近づいてきた一人の選手から、コーチの指示を伝えられた。「おい、おまえ。俺と交代だってよ」指示どおり、フィールドを外れてヘルメットを脱いだ時本氏を、監督が注意した。「なんでかってに外れるんだ!?指示なんてだしてないぞ!」要するに、騙されたのだ。だが、時本氏が驚いたのは、プレーするために平気で嘘をつくチームメイトの執念だけではない。

「監督も誰も、そいつを引っ張り出そうとせえへん。それどころか、プレーしているのを見て『あいつ、なかなかいいな』なんて言い出すくらい。要するに、騙そうが何しようが、結果がよければそれで良しなんですわ。ああ、これがホンマの実力主義かって」

 

成果だけを求めるのであれば、このチームメイトのやったことはある意味正しいことだと思います。評価される機会すら無いなら、その機会は自分で作るしかありません。

 

それに、過程がどれだけクリーンであっても結果が伴わないなら、それを評価してくれる人は誰もいない。これが正しく“成果主義”であると思いました。

 

実は、インターネットでアフィリエイトなんぞをやっていると、こうした経験は珍しいことではありません。

 

お金が絡むところには“汚い”ことがいっぱい

コピーコンテンツやサイトの奪取など完全に真っ黒な事例はともかく、インターネットでは“リライト”と呼ばれる、表現や記事の構成を少しだけ変えたような記事の書き方をとにかくたくさん見かけます。

 

私もこれを何度かされたことがあります。

 

インターネットではある程度リライトが許容されているように感じますし、私自身もある程度であれば、リライトはより価値あるコンテンツを生み出すために重要であるとも思います。

 

ですが、カテゴリーからタグ、キーワード、タイトルにいたるまでほとんどが私のコピーに近いような状態の記事を、私のブログの読者がオリジナルの記事として自分のブログにアップロードしているのはさすがに驚きました。

 

そして「恥知らずだ!そんな手段で得た金でメシを食って美味いか!」とまで怒っていました。

 

結果的に、その方はあまりSEOなどのことを分からずにコピーを行ったのか、そのコピー記事もかなり検索順位を下げる結果となったので、今回は成果でも私が勝ったわけですが、そのやり方に「品性が無い」と憤ったことは確かです。

 

ブログ運営なんぞを続けていると、こんなことには日常茶飯事と言っていいほどよく巻き込まれます。

 

リライトをしてきた人は下劣か?

ただ、こうした体験も『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』を読んだ後だと、品性が無いと疑っていいのか分からなくなってしまいました。

 

成果主義の世界であるインターネットで、他人の目に触れられないコンテンツを書くということは、そこにいないも同然です。だったら、多少過程が汚かったとしても、成果を出したほうがいいのではないかと考えるようになったのです。

 

自営業を営んできた母にこの件について相談をしてみたところ、「自分が売れてきたら他人がマネしてくるのは当たり前。だったら次に自分に何ができるのかを考えなさい。結果がついてこない人間の言うことなんて誰も聞いてはくれないよ」と説教されてしまいました。

 

正直なところ、私自身の中でまだこの問題について決着がついているわけではありません。そして、成果さえ出せれば過程のことなど気にすることもなく笑っていられるのかもわかりません。

 

ただ一方で、一度ぐらいは過程よりも成果を重視するやり方をやってみても良いのではないかと思うようになりました。どれだけ私が“意地汚く”なれるかは分かりませんが、多少泥臭いやり方でも突き進んでいきたいと思います。

 

でも、やっぱり今の私にはこれが幸せになるための健全な社会のシステムだとは思えないのですけどね。